昭和のアイドル史を華やかに飾り、令和の現在まで現役で女優として活躍された中山美穂さんの訃報は、まだ記憶に新しいですね。
コンサートを控えた直前のことでしたが、中山美穂さんは、仕事に対して自分に厳しい方だったというので、コンサート前に、好きなお酒を飲んだりはしないと親しい方からも言われていました。
ヒートショックのような環境が、中山さんが住むようなマンションで起きることも考えにくいともいわれました。
本当のところはわかりませんが、あの時、もう一つ印象に残ったのは、妹さんがいらしたことです。
中山美穂さんが有名すぎて、妹さんがいらしたことを知らなかった人が多かったのではないでしょうか。
その妹さんが気丈に対応をされていたことや、号泣されていたことを拝見し、本当に仲の良いしまいだったのだと、胸が熱くなりました。
さらに妹の忍さんが女優さんだったことを知ったのは、今回の中山美穂さんの演じるはずだった役を、代わりに演じることが決定されたというニュースででした。
美穂さんの訃報は残念で仕方ありませんが、姉の代わりに演じるのが妹ということを聞いて、最高のキャスティングだと感じました。
中山忍さんの美穂さんの代わりに演じるドラマや、若いころのかわいい忍さんや、わんぱくだった時代や現在などをまとめます。
中山忍さんが、姉中山美穂さんの代役に決定
実は中山忍さんは15歳の時から芸能界で、女優一筋で活躍されていた方でした。
12月6日に急逝した姉の中山美穂さんが出演予定だったフジテレビ系「日本一の最低男※私の家族はニセモノだった」に急遽、美穂さんの代役を演じることになりました。
1月9日開始のドラマで、第5話、2月6日放送の回に美穂さんの演じる予定だった園田美奈子役を引き継いで鮫島ふみ役として出演が決まりました。
主人公の義弟が保育士として働く保育園の園長の役となります。
美穂さんのご逝去を受け、急きょ、美穂さんの役柄を引き継ぐ形で、新しい園長・鮫島ふみ役を作ることになり、ご遺族である忍さんご本人と所属事務所と話し合いを重ねる中で、忍さんの強い希望を伺い、そのご意向をくみ、忍さんに出演いただくことになりました
中山忍さんご本人と所属事務所とお話をさせて頂く機会があり、中山忍さんがお姉さまである中山美穂さんと同じ作品に最後にご出演したいという強い希望をお持ちになっていることを伺い、そのご意志を尊重させて頂きたいと思い、今回、お引き受け頂くことになりました。
辛い時期を共にし支えあってきた姉妹だけに、少しでも姉の気持ちを感じることができ身近に感じられる体験になればいいですね。
この代役の決定は、最適任者だったと感じます。
姉の不在の存在感の大きさに、現実のこととはとても思えず、ポカンとしてしまう日々を過ごしておりました。
ふと、姉が撮影中だったドラマはどうなったんだろう…と、思いをはせたとき、別れ際にはいつも『あとは忍、よろしくね』と軽やかに去っていった姉の笑顔が心に広がり、シンと冷えた心の奥に沸々と熱いものが湧き上がってくるのを感じました。
中山忍さんの女優としての経歴も実力派
実は過去に、中山美穂さんと同時にブルーリボン賞を姉妹で受賞したことがありました。
1995年 第38回 ブルーリボン賞
ガメラ 大怪獣空中決戦
中山忍 助演女優賞
Love letter
中山美穂 主演女優賞
姉妹で一緒に受賞したなんて、本当に素敵な経験でしたね。
姉ほどの知名度ではないもの、これ以外にも女優としての受賞歴がある実力派の中山忍さん。
今度務める役は、みな、みぽりんの面影を重ねて期待過剰になりそうですが、きっと忍さんの中に生きているみぽりんに会えそうな気がして楽しみです。
助演女優賞を3回も獲得。
1993年公開『ゴジラvsメカゴジラ』、1995年公開『ガメラ 大怪獣空中決戦』など特撮映画で数々の優秀助演女優賞を受賞するなど、演技力の高さが評価されています。
姉の演じた役を引き継ぐ形で作品に携わることができますことをとてもうれしく思っております。
香取さんと久しぶりに共演させていただけることも楽しみのひとつです。
姉が残してくれた、このご縁を大切に、姉妹での最初で最後のドラマ共演、心を尽して演じます。
機会を与えてくださった皆さまに感謝申し上げます。
中山忍さんの若いころがきれいすぎる!
現在独身の中山さんですが、10代のころは恋愛に夢中で、結婚願望が一番あったそうです。
マネージャーにも、明日は仕事早いからデートに言っちゃダメといわれても、行っていたぐらい恋愛に夢中だったそう。
小さいころといえば、姉のみぽりんは、歌が好きで歌番組見て歌を歌ってばかり、自分は何かになりたいものもなくぼーっとしていたそうです。
だからまさか女優になるとは思ってもいなかった。
お母さんが離婚して、おじさんに主に育てられ、いとこと4人兄弟のように育ったけれど、ずっと一番下だったので9歳下の弟が生まれたときがとてもうれしかったそうで、大人になってもみぽりんと二人、弟がかわいくて仕方なかったそうです。
中山忍の芸能界デビューのきっかけは?
6年生の時に姉、中山美穂がデビューし、中二の時に、姉が仕事で海外行くので空港についていった。
そこでアイスを食べていたら、吉田敬一郎監督に「ドラマに出ていませか?」と声をかけられたのがきっかけだそうです。
ちゃんと芸能活動が始まったのは高校1年の時で、夏にドラマに出演し、11月に歌手デビューをしたようです。
10代の時は姉とばかり比較されるのが嫌だったけれど、マネージャーにお姉さんが中山美穂でよかったといわれた。
お姉さんが中山美穂だから、みんなが忍さんに気をかけてくれるんだといわれたら、それもそうだと気付いて、それからは、中山美穂の妹でよかったと思うように変わった。
当時、お芝居はNGをだすと、フィルムを無駄にする時代なので、ミスしたら叱られてばかりで泣いてばかり、そうすると今度は目が腫れたと叱られるし、辛かったそうです。
それでもうまくいったときに褒められて、その達成感で女優になったのだそう。
結婚はしなかったのはなぜか?
30代前半の時に結婚を真剣に申し込まれたことがあったが、仕事に専念したいと思った時期で、結婚に対する熱意が不足していたからか、結婚まで進まなかった。
また結婚はしなくてもよいと思っていた。
現在も女優として活躍している中山忍さんは、2時間ドラマを中心に多くの作品に出演しています。
これからも年齢に応じた役を演じ続け、将来的にはおばあちゃんになっても女優業を続けたいと語っています。
50歳になり、結果結婚していないだけで、たまたま世の流れに当てはまらなかっただけで、後悔もしていないといいます。
健康情報番組に出たとき87までは元気でいられるといわれたので、目標は88までは元気でいるため、筋トレをかかさない。
今も女優を続けている中山美穂からかけられた言葉
デビューしたら誰でも中山美穂になれると思っていた。
ところが、そんなことはないことが解ってくるにつれ、あまり売れてないし結婚したらと周りに言われたりもした。
ある時自分の出た番組を見た美穂が、「忍は何やっても大丈夫」と言ってきたので、なぜそんなことを言うのか聞いたら
「かわいいから」
といわれたそう。
「そうかかわいいから何やってもいい」と思えて、気が楽になって、今も芸能界にいるのだそうです。
本当に仲の良い素敵な兄弟だったのがわかります。
その一番上のお姉さんを失って、下の兄弟は本当につらいと思います。
幼い時父を亡くしてから、女手一つで苦労して育てたお母さん、その後再婚しますが、美穂さんのお金に、家業を失敗したお母さんが手を付けて、美穂さんとはいい関係ではなかったそうです。
お葬式では、お母さんが崩れるように泣いていらしたといいますから、親子のきずなや愛情は、消えることはないのでしょう。
美穂さんがかわいがっていた忍さんが、この機会に芸能界で、注目を浴びて、ステップアップのきっかけになったら、美穂さんも、天国できっと喜んで見守っているに違いありませんね。
中山忍さんのこれからの活躍も注目していきたいですね。